2016年 12月 23日
子供の将来、親次第?
長女さんは、小学校からこちらの学校に入りましたが、言葉の問題もあり、学年を落して(遅らせて)学校に入りました。私もこの辺のシステムがどうなってるのか不明なのですが(なにせ、言葉がお互いに通じてるんだかどうかなので)、幼稚園?扱いのようです。でも先生は、言葉の問題以外でも長女さんに他にも問題があると考えている様子だとのこと。私が首を捻っていると、iphonから写真を見せてくれました。そこには、ガラスのコップが3つ、コ-ヒ-カップがひとつ、ペットボトルが1本並べてある写真です。この写真を見て、ひとつだけ仲間外れのものはどれか?という質問をされた時、長女さんはコ-ヒ-カップと答えたそうです。先生的には、これは間違い。答えはペットボトルなんだそう。理由はプラスチックだから。長女さん的には、コ-ヒ-カップ。だって、あとは冷たいものを入れるものだから。長女さんは、イタリア語でホットやコ-ルドを言えなかったそうです(英語で言っても意味は通じていると思うのですが...)。こういった長女さんを見て、先生は問題ありと見做していてという話し。
こちらは留年があります。小学生留年なんてザラです。彼女のように言葉が不自由なら、学年を落してというのもザラ。更に、息子の代から、ヨ-ロッパの教育水準を一定にしようという試みも始まっていて(スイスはこの試みに参加、イタリアは不参加です)、生れ月によっては、旧来の学齢+1歳になることも。子供によっては、小学校入学が7歳の年になる子たちもいます。 公立自体の教育レベルは、私の地域は全体的に低いようで、小学三年生でまだ時計が読めない、読み書きを教えないというところもあると聞きました。息子が通うはずだった公立では2年生から文字を書かせるとのことです。ですから、親が無関心で放っておいたら....。その上、留年なんてことになったら....。言葉の問題で学年を落していたら...。そんな事情もあり、上記の親御さんが心配するのも分かるのですよね。
長女さんのコ-ヒ-カップという答え。私は良いと思うのですけど、このぐらいのことも駄目としてしまい、問題アリと親御さんに伝える教師の力量に疑問を感じます。ふと、藤原正彦さんの『遥かなるケンブリッジ』というエッセイを思い出しました。藤原さんは、ここで学生たちに数学を教えていました。教え方は、ソファ-に座り、1対1で教えるそうな。重要なのは、解き方。回答へ至る道筋です。制限時間内で解かなければならないテストの時は今ひとつだけど、時間無制限で問題を解かせると、非常にクリエイティヴな解き方をする生徒さんの話しなどが書かれていました。 個性や、本当の学力とはなんなんでしょうね。
息子が通っていた公立幼稚園は、環境がとても整った緑に囲まれたところでした。でも惜しいかな、先生がいかんともしがたい。考えた末に、泣く泣く私立に転園しました。そこは庭も狭いし、バス通学。でも先生の質が良いとの判断からです。ハコモノがいくら良くとも、結局最後は人なのですよね。とはいえ、家庭の事情で公立のみの選択しかできない場合、どうしたら??学校は義務教育だし。 大きく考えると公立学校のレベルが低いということは、全体的な国民のレベルを下げるということになりますよね...。スイス、将来大丈夫かな?そんなことをよく思う最近です。
商品化する教育現場(動画27分過ぎ~)。ヨ-ロッパの教育水準を一定にするという試み、これも嫌~な感じがしていて、公立の教育レベルの問題とともに、この制度へも危機感を持った親御さんたちは、参加しないイタリアや私立へと子供を逃がしているとも聞きます。動画で教育現場の民主化なるものの話しが出てましたが、こういう流れにもなんか繋がっている気もします。最後の方で、日本の公立学校のことも話されていました。日本も...大変だなぁ、と。子供の将来、親次第、っていうことになるのかな?元々天然の天才で無い限り、学校に任せきりで、通わせてればどーにかなる、なんて時代ではないようです。
by natsu2015h
| 2016-12-23 20:15
| 子供